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「コンプライアンス」とは「法令遵守」を意味する言葉ですが、言葉だけ聞けば
誠に結構なことであります。
しかし、現実社会では何か息苦しい、何ものかに縛られた感覚を感じているのは私
だけではないと思います。
何か、根本的な誤りを我々は犯しているのではないかと考えることがよくあります。

良識豊かな皆様方はこの点、どのようにお考えでしょうか?

A 回答 (8件)

日本は海外に比べコンプライアンス意識が低いと聞きます。


例えばある地方で悪質な交通マナーへの意識調査が行われましたが、多くの人が新しく出来た法律の事なんか知らず、交通マナーは改善しませんでした。
そこで警察や自治体が地道に意識を広めやっと改善する事に成功しました。

現代においてもハラスメントがなくならないのも、それを行う人とそれをなくしたい国家の意識がずれているからです。
同性婚にしても「仮に法律がそれを認めていても社会がまだそれに順応できていないから認められない」と裁判官が言うくらいです。

日本人を動かすには「法律でこう決められたからこの通りにしなさい」ではだめなのです。
意識を持つ人を増やしてそれが世間的に普通となってようやく動かすことができる。
日本人にとっては法律よりも世間の方がよほど恐ろしいのです。
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コンプライアンスの真髄は法令順守ではない・・・と気づいたのは今から20年も前のバリバリのビジネスマン時代でした。



前例のない領域のビジネスに関わると、法令順守が無意味なことに気づきます。何故なら、新しいことに対しては法律がないから。

こういうことに遭遇した時の、コンプライアンスとはなんだと思いますか?
私は、正しく柔軟に・・・変化に対応することだと思います。

あとで知ったことですが、機械的コンプライアンスとはまさしくそれでした。

それでは、法律に代表される正しいとは、なんでしょうか?
その答えも簡単です。

企業 すなわち法人とは、人が創った生き物ですが、法人の生きる目的は「悪いことをしないで儲け続けることです。」
しかし、社会の「正しいこと」や「悪いこと」は時代とともに変化し続けています。

もろく固い鋼のように過去の正しかったことに固執するのではなく、新しく押し寄せる正しさの力を受けた時に柔軟に受け止め変化できること・・・これが変化に対する柔軟性でありコンプライアンスではないでしょうか?
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まぁ遵法意識が低い東アジアの国は、裁判所でさえ法律を無視しますからね。

あんな野蛮な国になるくらいならコンプラを対応する努力を選びます
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「コンプライアンス」は、企業、団体、組織において欠くことのできない極めて重要なものです、コンプライアンス違反は、企業等に多大なダメージを与え、最悪の場合、倒産に追い込まれる危険性さえあります


しかし、カントは、
「人間は自律した存在であり、自由を有すると認識している」と言います
 自由とは欲望に支配されるものではなく、自分自身で与える法則(つまり理性)に従って行動する、と言う事です。
 法令順守と言っても、この人間の本質を忘れると、殺伐とした息苦しい味気ない、窮屈な社会になってしまします。
また、法令と言っても、すべての分野にわたって管理する事は不可能です

私は、法令を遵守しつつも、
・人間を手段化しない
・自律させるべき人間の尊厳性の無条件の尊重
・倫理的配慮の上の意思決定への取り込み
・倫理的振り返りのための対話の拡大
が必要ではないかと思います、すなわち人間主義です

「人間の尊厳」「生命の尊厳」こそ一切の根本である、
という深い哲学が必要だと思います。
 法令を遵守の中でも。決して人間を手段化しない「人間主義」が生き続ける人々の生命を最高価値とした慈悲を説く哲学こそ「コンプライアンス」が生きた者になり、万人が平等に自由が、自立が尊重される国家社会を築くのではないかとおもいます。
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コンプライアンス研修(セクハラ、パラハラ防止を含む)を毎年受講している者です。



別に難しく考える必要はないんですよ。

特に、法令(法律、政令、省令・施行規則、条例)や倫理に反するようなことをしないように、日々ふつうに過ごしていればいいんですから。

とはいえ、昨日も、どこかの町のトップが2名もセクハラやパワハラで辞任するとのニュースが流れていたようですし、コンプライアンス面で研修を受講していただきたいような方がそれなりの役職に就任し、存在していることも事実ではありますけどね。
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インターネットで、個人が情報を書き込める時代になりました。


私達は、政府による監視社会を想像していました。
けれども民主主義では、民衆による監視社会ができてしまったのだと思います。

今までは、政府による情報統制はマスメディアに規制を掛ければよかったのですけれども、インターネットに規制を掛けなければ、民衆による監視社会は進んで行きます。

政府は、国や自分達の利益の為に動きます。
民衆は、自分の利益の為に動いています。

インターネットが発展すればするほど、民衆のよる監視は進むと同時に、民衆の個人情報も漏れる危険が高くなります。 

民衆が監視する手段を手に入れたことで、誰からも、監視カメラなどでも、監視されています。
過失が許されないと同時に、他人の過失も許さない社会なのです。

最近は、インターネットが使えない宿も流行っているそうです。
私達は、監視する監視される、息苦しさについて考え始めているのだと思います。
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全く多くの人が、ほぼ全員が社会を汚しています。

だから。
法令はそれを知らない者にも適用される。
神が定めたまう摂理はそれを知らない者にも適用される。
「コンプライアンス」の回答画像2
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あなたが息苦しく感じるのは、「コンプラ」の名目で、極端で過度の自粛や規律を要求されているのではないですか?



いわゆるハラスメント問題も似たような面があり、ハラスメントを振りかざして他人を陥れる「ハラスメント・ハラスメント」などという振る舞いも横行しています。

とはいえ、本来は法令で許されない振る舞いを、無視して憚らない身勝手、無法が蔓延り、自動車の検査不正、過労死誘発、顧客の預り金横領、裏金問題など、日本社会のモラルの劣化が露わになっている状況でもあります。

正すべきは正すことは当然必要です。問題は、その風潮を身勝手に歪めて、「正義のフリした凶器」を振り回す暴徒の存在。
口先で「正義」を装うだけに質が悪い。
その薄汚さを見抜き、偽善を指摘する見識と勇気が認められる社会であってほしいと願います。
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