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台湾や香港にもかつては纏足文化がありましたか?

A 回答 (6件)

No.5です。

 以下の「日本統治初期(18951906年)台湾における纏足と女子学校体育に関する研究」(金 湘斌)と言う論文に、日本の統治初期の頃の台湾の纏足の詳しい状況が書かれています。 また、台湾に漢民族の文化だけがもたらされたわけではなく、日本が統治始めたころには、清(満州民族)の悪習である辮髪や、アヘン喫煙も残っていたとのことです。 

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjpehss/56/ …
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纏足は唐の末期から辛亥革命ごろまで中国で女性に対して行われていた風習であり、当然台湾にも纏足文化がありました。

 当時の中国の文化人は女性の小さい足を「金のハス」に例えるなど美の対象と考えており、人工的に小さくする施術が考案されたもので、転落した女性に纏足が施術されたわけではありません。 

満州族が建国した大清帝国は、1683年に当時台湾を支配していた鄭氏政権を滅ぼし台湾を制圧しことに成功しましたが、清は当初台湾を領有することに消極的でした。 しかし、朝廷内での協議によって、最終的には軍事上の観点から領有することを決定し、台湾に1府(台湾)3県(台南、高雄、嘉義)を設置した上で福建省の統治下に編入しました。 清は、台湾を「化外の地」(「皇帝の支配する領地ではない」、「中華文明に属さない土地」の意)としてさほど重要視していなかったために統治には永らく消極的であり続けましたが、台湾の対岸に位置する中国大陸の福建省、広東省から、満州族の清では冷遇されていた多くの漢民族が移住し、台湾の開発地を拡大していきました。 そのために、現在の台湾に居住する本省系漢民族の言語文化は、これらの地方のそれと大変似通ったものとなっています。 漢民族の大量移住に伴い、当然漢民族が支配していた頃の中国の悪しき文化である纏足も台湾にもたらされました。 

香港は、1842年の南京条約(第1次アヘン戦争の講和条約)によって、清朝から英国に割譲され、イギリスの永久領土となりましたが、英国領になるまでの香港はほぼ軍事目的でしか利用されない、住民のほとんどいない岩山の地域だったため、香港には纏足文化は無かった可能性があります。
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台湾は、日本が植民地にした後に中国人が乗っ取ったので、中国と思い込んでいる人が多いですが、日本が植民地にする以前は現地固有の民族だけで中国人はいませんでしたから、そのような文化もありません。



香港は分かりませんが、纏足も北部のほうがメインだったようですので、香港のほうでは居たとしてもごく少数だったのではないでしょうか。
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纏足をしていた物乞いは中流〜富裕層から転落した人じゃないかなあ。


纏足をしていたらろくに働けないでしょうから。

香港以外についてはよく知りません。ごめんなさい。
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香港はどうでしょうね。


イギリス植民地とする前はド田舎だったですから、纏足ができるような中流〜富裕層がどれだけいたのか、そもそもいたのかが微妙だと思います。
ただ、香港医学博物館には纏足のコーナーがあります。「香港醫學博物館」で検索してみて下さい。
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この回答へのお礼

流行りは富裕層でしたがやがて物乞いもやっていましたよ。

あと、東南アジアやアメリカの華僑や台湾人どうだったのですか?

お礼日時:2024/04/29 20:05

ないと思われます

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