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50歳の息子の嫁のことです。
私は80歳目前です。
結婚当初から息子の借金や不倫が発覚するたびに嫁がいちいち告げ口に来ていました。
最初は結婚前の借金のこともあったので少しくらいはと話も聞いていましたが、何年も経ってからは

うちに言ってくるな,息子はもう私たちの手を離れているんだ
とつき返しました。

この度、夫に介護が必要になり運転免許を持ってない私は病院まで連れて行ってもらったりするのに困り嫁に頼んだところ

私には関係ない、私が息子さんのことで困った時も知らないってお義母さんいいましたよね?今さらなんですか、しりませんよ

みたいな内容を言われました。
息子は昼間仕事をしているので頼めないです。

これは私の自業自得でしょうか。
親の介護を手伝うのは当たり前だと思うのですが。

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A 回答 (38件中1~10件)

>うちに言ってくるな,息子はもう私たちの手を離れているんだ



これを主張するなら、お嫁さんの

>介護は私(義娘)には関係ない

も妥当な主張だと思いますよ。


>親の介護を手伝うのは当たり前だと思うのですが。
そのとおりです。でもそれは実子に課せられた義務(法的拘束力)で、お嫁さんには何ら義務はないのです。

あなたが先に、これ以上は助けないよと線引した。
お嫁さんがそれを受けて、じゃあうちもここまでですと線引した。

それだけのことです。
私は、そういう線をどこで引くかは人それぞれだと思うので、それを避難する気はありません。自業自得と責めなくても良いと思いますよ。
ただ、傍目にはそれは同じくらいの妥当な線引に見えますので、それ以上求めるのは筋が通らないとは思います。
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自分の夫の不出来を夫の母に愚痴るってのはなかなか出来ないもので、お嫁さんはあなたを慕っていたのではないでしょうか。

そして辛い気持ちを助けてもらいたかった。
私だったら自分の母に愚痴りますけどね。それでたぶん離婚にすすむと思います。
慕ってたのに冷たくされたから余計に根に持っているのでしょう。
耐えたお嫁さんは偉いと思います。

介護タクシーなどを頼むのが円滑だし良いかと思いますが、タクシー代を払うからお嫁さんに送って欲しいと頼んでみたらどうでしょうか?
これを機にまた仲良くなれるかもしれません。
仲良くしたいのならば、ですが。
都合の良い時だけっていうのなら話は別で、お互い助け合う気持ちがなければと思います。
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ハッキリ言って自業自得です、冷たい様ですがそんな息子に育てたのは貴方夫婦です。


義娘に相談された時にせめてもっと親身になって息子にキツく意見等してあげていたら、嫁も貴方達の介護等、少しは力になってくれたはずです、全ては貴方達から始めた事なんです、当方の母も長男夫婦にある事で余計な事を言ったばっかりに見放され、ボケてもいないのに施設に入れられてしまいました。
当方は可哀想に思いましたが、言ってやりました、「自業自得ですヨ」と。当方次男なので長男のやる事に、口出し出来ないので、傍観するしかないのです…
近々,実家になっている空家も売ってしまうらしいです。母はその事も知りません…
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まず、夫のことを告げ口(?)するのも大人げないというか…義親子がそれだけ仲睦まじい仲ならいちいち相談に来るのも頷けますがちょっと大人げない嫁です。

言われたことを根に持って言送迎を断るなんて…夫の親をなんと心得ているのでしょう…

それはそれとして「親の介護を手伝うのは当たり前」って発想はちょっと疑問です。確かに送迎を断る嫁は嫁として失格ですが、親の介護全部を当たり前と思うのは違う気がします。
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あなたはこのお嫁さんの善意を期待して待ってても何もないので、時間の無駄です。

それは容易に想像できます。このお嫁さんはあなたを逆恨みしてますよね。あなたは根本的にこの恐ろしいお嫁さんへの対処法が間違ってると思います。 
 このお嫁さんは、夫婦関係の問題、特に夫の不適切な行動を母親のあなたに責任転嫁しようとしてたんです。 
 根本的に自分で問題を解決しようとは思ってないんです。だからいちいち告げ口に来た。あなたに謝罪でもさせたかったんでしょう。
 だから今になって、逆恨みしてあなたの病院への付き添いを拒否してる。たぶん介護も拒否とまでは行かなくでかなり手を抜かれると思います。嫁は他人ですよ。ただ姑の病院への付き添い拒否は、人道的に、家族としてどうなんでしょうね。録音しておいてもいいぐらいです。
 こういうタイプは『善意』を期待するだけ無駄です。逆恨みだけどんどん増大していきます。もともと善意がゼロだから余計に怖い。
 あなたが息子さんに意見したところで、不倫の問題が解決したわけでもありません。母親が叱って不倫を止める男がどこにいるのか。このお嫁さんは自分が困った時だけあなたの手を借りるんです。
 あなたはもっと自衛しないとダメですよ。息子さんも当てにならない、嫁も信用できない。そのことの重大さをわかってますか。 
 このお嫁さんは弱いものを見捨ててる。それは夫婦関係の問題とはまた別です。恐ろしい人ですよ。あなたが先に手を打たないと身動き取れなくなりそうです。あなたを手助けしなくてもあなたのものを狙ってますよね。たぶん。
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ひどい嫁だね


息子の借金とかそれはもともと夫婦の話しかも50歳
親が出てきてどうのこうのする話じゃない
それがわからない嫁がおかしい
こういう所で小さなほころびが出てくるんでしょうね

1つ言うなら親の介護を手伝うのは当たり前とは思わないほうが
今後いいかもしれません
介護サービスを利用するとかなにか
自分で対応策を考えといたほうがいいかなと

頼るとしたら自分の葬式の時だけそう思うように
したらいいと思います
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どちらが悪いという問題ではありません。

嫁の道徳心(常識)の欠如から来る言葉です。

あなたがおっしゃった、息子さん夫婦の問題をいちいち親に告げ口する問題と、今回の介護の件は完全に別の問題です。

又、過去の事を根に持って、やり返すような言葉を発する嫁は如何なものかと思います。
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日本昔話の典型的な物語って感じですね。


自業自得ですね。

無責任なバ〇親子って似るんだねぇ… 

嫁さんかわいそう。
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「息子はもう私たちの手を離れているんだ


とつき返しました。」ということは息子の嫁さんも「ああ、そういう親なんですね」で当然突き返すでしょう。これを相互主義と呼び、世間の常識です。
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少し調べました。

「因果応報」と言う言葉と「自業自得」と言う言葉で何が違うのだろうかと。すると「因果応報」は良い意味でも使われたり、前世の行いも反映される部分で違うそうです。自業自得は主に悪い意味で使われています。

以下は長いので興味があればお読みください。

「お嫁さんが息子の相談に来たのは親である貴方が
 息子を立派に育てなかった報いでしかない。これ
 を因果応報と言う。貴方がお嫁さんの相談を受け
 た事で一定の信頼を得たのは『蒔いた種を自ら刈
 り取っていた』ためである。これを途中で投げ出
 したのだから、今困っているのは当然自業自得で
 ある。『さらに困っても誰にも同情されない』と
 いうのは全ての原因が『自分の勝手な考え』にあ
 るため因果応報である」

いま質問者さんが困っているのは「貴方が作った息子によって引き起こされている」わけですので因果応報という方が的確だと思います。良い意味でも使われるそうですし「世代を超えて広がる」あたりが該当するのじゃないかと思います。

また「当たり前」についての質問者さんの感覚が「当たり前」ではないように思えます。世間の他の方々が「当たり前の恩恵」を受けているのは「当たり前の事をしてきた」からです。「当たり前の事が出来ない人」が「当たり前の恩恵を得られない」のは「当たり前」でしょう?

過去にお子さんを「当たり前に育てられなかった」としても「新たに自分を親として頼ってくれる人」が出てきたんですよ。やり直すチャンスだったはずです。そうであるのに「自分を親だと思って慕ってくれた人」に「甘えるんじゃない」とやってしまったら「一生恨まれる」事に成るのも「当たり前」です。

「自分が他人のお子さんに慕われているのだ」と理解できなかったあたりに何か普通じゃない物を感じます。本当の親の様に感じて貰う事ができたはずです。それを為していれば今の状況には成らなかったと思いますよ。

また「相手がそれほど長く傷ついているのだ」と気が付いて「申し訳なかった」と許して貰うまで謝るのが「当たり前」であると思いますよ。そういう事をしなかったのではないかと読み取れます。そうでなければここに相談していないでしょう。

自分を許す時に世間の悪い部分を引き合いに出し、自分を被害者にするために世間の良い部分を引き合いに出す。これでは「自分自身の善行の報い」も受けられません。貴方が何度もお嫁さんの相談にのっていた「積み上げ」が台無しになっていませんか? 損をしていたのではないし、煩わしい事が起きていたわけでもないし、責められていたわけでもないんです。

「親子の関係を新たに結ぶ尊い行為を積み上げていたのだ
 と分かって居なかった」

親に話す感覚で甘えられていただけでしょう。貴方に会いたかったんです。そういう良い報いと言うのは滅多にありませんよ。その「自分の行為によって自分だけに与えられた恩恵」については気が付かず「世間での話」ばかりを追ってしまうと「嘘みたいな良い事が(この自分に)起きている」と気が付けないものですよ。

「状況を取り違えて解釈してしまうあたりが普通じゃない」

「自分が困っているのだ」という気持ちが強く成り過ぎて「当たり前の考え」に至らない。こういう物が時を超えて因果として広がっているように見えます。

相手の気持ちになって考えてみるという「当たり前の事」をサボってしまうと「チャンスをピンチとして捉えたり」「罰や贖罪を不条理として捉えてしまう」でしょう。こんな人生の運転では「その様になるのは当たり前」と思います。

とはいえ「全てが悪い」わけじゃないですよ。もっと不幸な話が沢山あります。そうした物と比較すると「とても小さな悩み」なわけです。先ほど指摘した部分が少し影を落としているというだけで「貴方の他の良い部分」が貴方を支えていると思います。

ですので正す部分は「当たり前」と思う辺りが実際とずれているという事じゃないでしょうかね。

全ての人にやって頂きたいのは、

「当たり前の貰っているという解釈を自分の良さから生ま
 れた因果応報であると解釈すること。当たり前だとして
 しまうと自分を褒めて報酬を有難がる喜びが減るのだ」

と解釈する事です。

「貰えて当然」と考えるより「頑張った甲斐があった」と捉える方が幸せなのだと気づく人は少ないですよね。

「貰えて陶然という感覚は『過去の自分の善行』に気づけ
 ていない状態でもある。自分を誇らしいと感じていない
 ためモッタイナイ事なのだ。せっかくの善行を『我慢』
 と解釈した上で『意味が無いモノ』として蔑み、最後は
 『折角の尊い行為』を投げ捨てる事にも繋がる。そして
 その時に『自分だけが貰えなくなった』と感じて苦しむ。
 良い結果が帰ってきている時も悪い結果が帰ってきてい
 る時も『他の人より苦しんでいる』事になるのだ」

と思います。

「苦しみのバイアス」が人生全体にかかってしまう分けです。喜びも苦しみも本来ある「感じ方」より「余計に苦しい」物になっているはずです。これでは神様がどんなに努力をして「幸福にしてやろう」と頑張っても「他の人より喜びが少ないという性質」が邪魔をして幸福に感じられないわけです。

生きている意味が薄れます。

自分のお子さんを愛しているのならば「貰えて当たり前」という感覚を与えてはいけませんよね。それは愛情ではなく呪いを与えた事になります。

そういう示唆に富んだ事例であると思いました。

以上、ご参考になれば。
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