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【歴史・日本史】日本人の本音で話してください。

日本は第二次世界大戦で敗戦しなければ、本当にアジアを欧米列強の植民地支配から解放しようと動いていたのですか?

第二次世界大戦で敗戦したのでアジアの植民地に失敗して、都合が良い言い訳として欧米列強からの植民地支配からの解放という本当の意志ではないでまかせを言って自分たちの罪を和らげようとしただけだったのでは?

ずっと引っかかていたのですが、もし日本が第二次世界大戦の勝戦国になっていたら、韓国や台湾は日本人が植民地支配して欧米列強からの植民地支配からの解放と同時に日本の植民地支配が行われた気がしてなりません。

港や鉄道を整備して先進国化を進め、近代化に貢献したのは後の方便で、実際はアジアを植民地支配してアジアの資源を略奪するために近代化の整備をした。でも負けたので整備を放置して逃げ出した。その残骸が近代化にたまたま貢献しただけで、近代化してやっただろ感謝しろ、欧米列強から植民地支配を解放してやっただろ感謝しろって後の言い草ですよね。

偶然逃げ出した産物で、戦争に勝っていたら欧米列強と同じように植民地支配をしていましたよね?

日本人の詭弁ですよね。

日本人は良い人だと印象付けたいだけの印象操作、プロパカンダ教育ですよね。

日本人は第二次世界大戦は欧米列強からアジアを解放、アジア諸国の近代化に貢献した。と誇らしげに言いますが植民地支配をしようとして失敗して罪を和らげようと言った詭弁ですよね。

日本の歴史教科書で学んだ日本人には歴史が書き換えられて嘘の偽の教育を真実だと大人に教えられて育ったので歴史の日本史の授業が先生、教師すら嘘が嘘と見抜けないのだと思います。

A 回答 (7件)

>日本は第二次世界大戦で敗戦しなければ、本当にアジアを西洋列強の植民地支配から解放しようと動いていたのですか?



はい、そのように動いていました。
だから日本が大東亜戦争に勝ったなら「西洋列強の植民地支配」は終焉し、アジア各地は解放されたことは間違いないです。

ただし、ただしです。
それは「アジア人たちから見て本当に開放と言えるか?」は別です。

つまり「西洋列強の植民地からは《解放》されるのは、間違いないが同時に日本の政治的支配下もしくは経済的支配下に置かれることも間違いない」からです。

とはいえ、これがいい事か悪い事かは非常に微妙でもあります。なぜなら当時の日本は「統治下地域に対する政策が明らかに欧米列強の植民地化と違った」からです。

たとえば台湾は一番最初に日本の統治下に入った外国ですが、日本資本による経済的な開発や教育の普及が行われ、朝鮮半島も南洋庁の管轄下の地域も同様な対応をしていました。この点は西洋による植民地と明らかに違い、資本も教育も行き届いていなかったアジア諸国にとって大きな発展の基礎になったはずだからです。

ただ、これを行うには日本本土から資本を持ち出すのでは足りないので、石油産出地域を中心に莫大な富を日本の会社などが押さえたうえで、その利益の一部を回すことになったでしょう。だからアジア人からみれば「結局美味しい所は全部日本人が持っていく、西洋の植民地とあまり違いはない」ように見えた可能性はあります。

このようなことが言えるは数々の証左があるからです。
まずアジア各地で敗戦した日本軍から、各地の独立戦争に関わる人物が何人も輩出されました。これはつまり日本軍が(理想論だとしても)「アジア解放」をプロパガンダし、それを本気に受け取っていた士官が多数居たということを意味します。

士官は士官学校を出ていますので、思想教育の中に「アジア解放」が無ければ、日本が負けたうえでアジア各国の解放運動に関わるなんてお人よしがたくさん生まれることは無かったでしょう。

また、近年でも日本の海外派遣は欧米のそれとは一線を画していることが明らかになっています。
 
たとえば「帰らないでデモ」が起きたイラク・サマーワの活動では「自衛隊員と現地労働者が一緒に労働する」というスタイルを貫いていました。一緒に道を作り汗を流し一緒に昼食を食べるならそれだけで仲間意識が生まれますし、自衛隊は「自分達が帰った後でも、現地の人たちが自分達で道路を直せるように」指導していたのです。

欧米人は重機と材料とやり方を指示したら帰ってしまう、ので現地人は「俺たちは植民地人ではない」と不満をもっていたそうです。

この差が「帰らないでデモ」につながるわけです。

また民間派遣ですが、日本は土嚢を使った道路補修をアフリカなどで行っています。土嚢袋は現地の穀物などを運んだものを使い、その袋に土を詰めて、ある決まったやり方で舗装していくわけです。

これなら現地の人でもできるし、重機などが無くても、補修できるわけです。

こういう「現地人が自立できる方法」を考えて支援するやり方は日本独特だと言われていて、それは「アジアの解放」という理念が元になっていると言っていいでしょう。

敗戦してもそうなのですから、勝ったならそれなりに実現させたはずです。ただし、それを現地の人たちが「恩恵」と受け取ったかどうかは別問題です。
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この回答へのお礼

みんなありがとう

お礼日時:2024/05/11 23:29

>敗戦したので~都合が良い言い訳



戦中のスローガンに「八紘一宇」というものがあります。
「人種・民族・宗教等の差別がない世界でみんなが一つになって
平和に暮らす」という意味で、当時からその思想があったものです。
「植民地解放のための戦い」を打ち出すほどの知能がなかったから
戦後に出てきて言い訳をしているといのは明らかに間違いです。


>韓国や台湾は~日本の植民地支配が行われた

日本が台湾や朝鮮を植民地にしたのは事実です。
よく「併合したから植民地ではない」という意見を見ますが、
近代における植民地の定義は「本国と異なる法体系や政治形態で
統治される従属地」ですから、総督が派遣されその地域の議員が
選出されていないことからも植民地と言えます。
 注:朴春琴は朝鮮人の議員ですが選出は東京。
   貴族院議員はいましたが、選出はされていません。

現在、国連の「植民地独立付与宣言」によって植民地は
事実上なくなりました。
「植民地と人民に独立を付与する宣言」(国連広報センター)
https://www.unic.or.jp/activities/peace_security …
宗主国はこの宣言に合わせて議員をだして海外県にするなど
植民地でないことにするように変更しました。
(引用HPにもあるように事実上の植民地は残っています)
日本の場合、1945年4月に衆議院議員選挙法の改正が行われ
朝鮮と台湾においての選挙権が認められることになりました。
「昭和二十年・法律第三四号・衆議院議員選挙法中改正法律」
(アジア歴史資料センター:レファレンスコードA04017707700)
  第十四章 朝鮮及臺灣に於ける特例
  第151條
  朝鮮及臺灣に於ては、第5條第1項の規定に拘らず、帝国臣民たる
  年齢25年以上の男子にして、選挙人名簿調製の期日迄
  引続き1年以上直接国税15円以上を納むる者は選挙権を有す。
総督による統治は続きますが、ジブラルタルが現在植民地ではない
と主張されているように朝鮮と台湾は選挙が行われることで
植民地支配から脱却する直前でした。
(選挙の前に終戦で実施されませんでした)


>欧米列強と同じように植民地支配をしていましたよね?

その通り。
植民地支配にもいろいろな形態があります。よく日本と比較される
インドでも公立大学が設置されノーベル賞受賞者も輩出しました。
(なので、日本が大学を作ったから植民地ではないも間違い)
ちなみに、ノーベル賞はラマン効果のチャンドラセカール・ラマン等。
なので植民地の従属地における統治は様々ですが、そもそも
他国を併合しても文化や習慣など大きく異なります。
通常は植民地→保護国→間接統治→直接統治→自治領のように
いくつかの段階を踏みますが、その過程も様々です。
占領してすぐ自治権を与えることはまずありませんから
まずは植民地統治から行うもので、前述のように朝鮮や台湾では
半世紀近くかかっていますが多くの欧米諸国による植民地と異なり
その段階を踏む意志は示しています。


>負けたので整備を放置して逃げ出した

「インドネシア高校歴史教科書」(明石書店 2008年)P252~
  日本のインドネシア占領時代には、オランダ領東インドの
  占領時代と比較して教育面で急速な進展があった。
  日本占領政府はインドネシア民族に対して政府が建てた
  学校での教育に参加する機会を与えた。
 (中略)
  インドネシアの若者はペタ(郷土防衛義勇軍)の組織を通じて
  軍事教育を与えられた。このペタに参加した若者たちが、
  のちに独立を求めるインドネシア人民の闘争活動の核となった。
インドネシアの場合、オランダは敗走時にインフラを破壊しますが
日本はそれを整備し現地人が使用できるように教育しました。
当然ですが、敗戦で「整備を放置して逃げた」場所もありますが
現地ではそれなりの評価がなされています。

ちなみに、教科書で今回引用したのは日本に都合がいい部分で、
その他には「日本のための統治だった」「ひどい目にあった」など
日本の支配での欠点も記載されています。
韓国の教科書ではコメの不作時の移入・移出だけ表示して
「日本はコメを収奪した」のような歪曲した批判ばかりですが、
台湾などその他の国の教科書では日本の統治には長所・短所を
述べることで学ぶ者の判断を促しています。

長所だけ見て「日本は欧米から解放した」「現地では歓迎された」
短所だけ見て「日本は欧米に代わって植民地支配しただけ」などと
一方的な評価するのではなく、総合的に判断してください。
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もちろん日本は、本当にアジアを欧米列強の植民地支配から解放しようと動いていました。

 そして、欧米列強の植民地を脱した国々を取り込んで、日本を盟主とする東アジアの広域ブロック化を実現し、欧米列強と対抗しようとしたのです。 アジアの国々を本当に自由な独立国にしようとしたわけではありません。 日本の勢力圏に取り込み、日本の属国にしようとしただけです。 よって、日本が占領した地域では、日本語教育など、積極的に日本化政策を進めました。
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いいえ。

当時の日本はアジアを欧米列強の植民地支配から解放したのち、自らが主導して一種の経済圏をつくろうとしていました。最初は植民地の人たちも解放者として日本を迎えましたが、短期間のうちに反日的になり、ゲリラ活動まで行うようになったことがその根拠です。本音がみえちゃったんでしょうね。
 戦後に解放されたというのは結果論だろうなあと考えています。
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「植民地解放のための戦い」を打ち出すほどの知能がなかったのよ。



仏印あたりで、「ひょっとして俺達、人気あるんじゃね?」と、気付いただけ。
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日本は第二次世界大戦で敗戦しなければ、


本当にアジアを欧米列強の植民地支配から
解放しようと動いていたのですか?
 ↑
どうでしょうかね。

そもそも、大東亜共栄圏というのは
西郷隆盛の師である、島津斉彬の
戦略です。

アジアが一丸となって、欧米に対抗
しよう、というものです。


ヨーロッパの植民地政策とは
違っていたことは確かです。

ヨーロッパは、現地人を奴隷化し
資源を強奪して今の豊かな生活を
手に入れました。

しかし、日本人は逆です。
赤字を出してまで、支配地を近代化
しました。

だから、韓国、台湾の今日がある
わけです。

それが、防衛のために必要だった
からでしょうが、
勝っていたら、どうなったかは判りかねますね。


また、日本がインドやインドネシアの
独立に貢献したのは確かでしょう。

インドの独立が刺激となって、アフリカなどが
独立するに到った、ということも
良く知られている事実です。




日本の歴史教科書で学んだ日本人には歴史が書き換えられ
 ↑
日本の教科書では、日本は悪者に
なっていると思いますが。

これを、自虐史観、といいます。
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>欧米列強からの植民地支配からの解放と同時に日本の植民地支配が行われた気がしてなりません。



植民地支配自体に関してはYes。
ただ、日本統治時代も欧米に比べればはるかにインフラへの投資はしていたのでだいぶましだったのでは、と言う気はします。

一方で、第二次世界大戦後に世界各地で相次いだ植民地独立については、植民地に深く根を張っている分むしろ遅くなっていた可能性も否定はできません。
日本本国とそれほど対立しないような現地民感情が醸成されていた可能性もありますし、
アジア人は理性的なので、暴力で政権奪取をするような急進勢力に肩入れしすぎると、今度はそれが独裁者として君臨するような事になりがちなのも理解しているので。
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